「武長」
武田薬品は、1781年に武田長兵衛が道修町に近江屋を起こしたのが始まり
以来長年に渡って、同社の店主・社長は「武田長兵衛」を名乗っていました。
そこで、十三界隈では、武田薬品を「武長」と親しんで呼びます。
「武長」と戦争
6日午前7時、十三駅近くの武田薬品・大阪工場前で訴え
この日は、広島の原爆慰霊祭の日
戦争と武田薬品について訴えた
十三の町は、64年前に焼け野原になった
しかし、武田薬品・大阪工場は惨禍を逃れた
武田薬品・大阪工場では、戦後の不況下で、アジア諸国から引き揚げた社員全員を雇った
しかし、労働環境は劣悪で、労働災害が続き、争議にいたった
「武長」の発展を
いま、武田薬品には派遣労働が広がっている。
この夏、武田薬品では株主配当があった
昨年の配当の10%を雇用に充てれば、
年収500万円で600人を雇用できる
戦後不況下で、大陸からの引揚者を全員雇用した「武長」
労働争議を経て、育児休暇などの雇用環境を前進させてきた「武長」
いま、派遣社員などの雇用安定と労働条件改善に取り組んで欲しい
下請企業を大切にして、技術を育て、人を育てて欲しい
それが、クレーム品を減らし、「武長」が発展する道だと思う
「新しい日本」での共産党の役割
自民・公明政治を退場させて
労働者派遣法の製造業への適応を止めさせる
しかし、直接雇用でも半年、1年雇用ではダメ
正社員が当たり前の「新しい日本」には、日本共産党の前進が必要
「武長」と「新しい日本」
みなさんには、良い薬を開発して、普及して欲しい
しかし今、薬や治療が必要な人に、医療が届いていない。
お金の有る無しで、社会保障が断たれるのでは、社会保障とは言わない
戦争と医療
財源は、二つある
ひとつはムダ遣い
その際たるものは、軍事費
「武長」は戦争でブドウ糖などを作って成長した
戦後は、平和の下で発展した
戦争の医療ではなく、
平和の医療を発展させよう
貯蓄から投資へ
私の貯金の利子には、20%の課税がされている。
しかし、投機マネーには10%しか課税されない。
「広く、薄く」と言うが、
「狭く、薄く」なっているのが投機の課税
「広く、厚く」なっているのが貯金や消費税の課税
投機への課税などの「薄さ」が社会を歪めている
日本共産党とご一緒に、安心して働き続けられる社会
日本共産党とご一緒に、必要な医療が必要な人に届く社会をつくりましょう。
具体的な訴え
このところ、「建設的野党」と「民主批判」のスタイルに悩んでいた
しかし、「武長」門前で訴えて、
具体的な話しをすると、無理なく出来たように思う
日本共産党がどんな社会をつくりたいのか
特に、私がどんな社会をつくりたいのか
具体的に話して、国民的な共同をおおいに広げたい

